さくやの自己紹介

さくや@DIYブロガー

私は大人になってから一度だけ、大声で泣いたことがあります。

それは、私の祖父が亡くなったときでした。

そのときのショックと決意が、このブログの原点になっています。

[toc]

自己紹介

はじめまして。DIYブロガーのさくや(@sakuyakonoha77)です。

あらためて、このブログを訪れてくださって本当にありがとうございます

私のような初心者のつたない記事を読んでいただき、興味を持ってくださったというだけで感謝の気持ちでいっぱいです。

皆様へのお礼の気持ちを込めて、私の自己紹介を記事にしてみました。

昔語りで退屈かもしれませんが、このブログのルーツと、目指す場所を伝えることができればと思います。

さくや@DIYブロガー
さくや@DIYブロガー
名前さくや
趣味DIY全般(特に好きなのは木工)、刃物研ぎ、キャンプ旅
年齢40代
性別
在住神奈川県
家族構成妻(このは)、娘2人、息子1人

DIYをはじめたきっかけ

2017年頃、必要に迫られて子供用3段ベッドを作ったのがDIYを始めたきっかけでした。それまではノコギリも電動ドリルも持っていなかったし、DIYなんてやったこともありませんでした。

デビュー作
子供用3段ベッドを自作
子供用三段ベッドを2x4で自作 ~初心者でもできる賃貸DIY

続きを見る

つまり、私自身が木工の初心者なんです。

初心者なので、何もわからないところからスタートしています。

Googleで調べたり、本を読んだり、使ったこともない道具を買ってみたり。

できるかどうかも分からないことに手を出して、試行錯誤と数えきれないくらいの失敗を繰り返して、今に至っています。

どうしてこんなにDIYと木工にこだわるのか・・思い返してみれば、私の祖父の思い出が大きく影響している気がします。

祖父の思い出

『考えりゃわかる』

私は学生の頃、自転車で北海道と東北を旅していました。

その旅の途中、宮城県の田舎にある祖父の家を訪ねたときのことです。

自転車で旅をしていた頃
自転車で旅をしていた頃

自転車のギアやらスポークやらハブやら、あっちこっちが故障してしまいました。

長旅でガタガタになっていたのですね。

祖父の家で道具を借りて修理しようとしたのですが、当時の私は経験が浅く、自分で修理できずに困り果ててしまいました。

そんな私を見かねた祖父は

『どれ、見せてみろ』

と言って私の自転車を観察した後、つぎつぎと分解し始めたのです。

正直言って私は、祖父が自転車(MTB)を修理できるとは思っていませんでしたので、元に戻せるかどうかだけが心配でハラハラしていました。

しかしそんな私を尻目に、祖父は自転車を完璧に修理してしまったのです。

ギアの調整、スポークのテンション調整、ベアリングのグリスアップまでしたのには心底驚きました。

祖父になぜ修理できるのかと聞いたら、祖父はたった一言、

『考えりゃわかる』

と答えたのです。ぞっとするほどの畏怖を覚えたものです。

祖父の工房

祖父の工房
祖父の工房(祖父が亡くなった後に撮影)

祖父の家には、3畳くらいの工房と多くの工具がありました。それほどの道具を持っている祖父に興味を持った私は、祖父に

『なんでもいいから作ってみてほしい』

とお願いしたのです。すると祖父は

『なら、一緒に作ってみるか』

と言ってくれたので、私は祖父に教わりながら初めての木工を体験しました。

そして、当時の私が作ったものがこちらです。

電動ドリルと砥石で作成した寄木細工
電動ドリルと砥石で作成した寄木細工

今見ても見事な寄木です。材料は桐の端材でした。どこもダレることなく完璧に直角が出ていますね、我ながら信じられません。

繰り返しますが、これは祖父に教わりながらも、私が自分の手で作ったものです。

しかし自分でも信じられないことに、私はこの作り方を一切思いだせないのです。

木工が初体験だった当時の私は、道具の意味も、作業の手順も全く覚えることができませんでした。実は当時それほど興味が無かったのかもしれません。

辛うじて覚えているのは

  • 板材の加工には電動ドリルと砥石を使った
  • 電動ドリルは手で持つのではなく、台に固定されていた
  • 鑿や鉋といった刃物は一切使っていない

ということだけです。それ以外は、まったく思い出せません・・

今思えば、あのとき使ったのは祖父自作の治具だったはずです。

おそらく祖父は、トリマーテーブルに近いものを電動ドリルで作っていたのでしょう。

しかし治具という言葉すら知らなかった私は、ただ『ふ~ん』と思っただけでした。今となっては悔やんでも悔やみきれません。

祖父とのお別れ

その数年後、祖父は癌で亡くなりました。

祖父の葬儀を終えて親戚や近所の方々と話していた私は、あることに気づき愕然としました。

誰も、祖父の工房のことを知らなかったのです。

正確に言えば、物置小屋(工房)があることは知っているが、祖父がそこで何をしていたのかを誰も知りませんでした。

祖父は木工職人ではなく普通の公務員でした。小さな工房で趣味として木工をしていましたが、祖母にすら詳しいことは話していなかったようです。

結局祖父は、その技術を私にしか披露しなかったのだと思います。

そしてそれを私が覚えていない以上、祖父の技術は、完全に失われていました。

それに気づいた私は、大声を上げて泣いてしまいました。

失われたもの、二度と戻らないものを思うと、今でも涙が込み上げてきます。

葬儀の翌日、私は一つだけ形見を持ち帰りました。

祖父の砥石
祖父の砥石

軒下で放置されていた祖父の砥石です。持ち帰ったのは左下の砥石一つです。

祖父の砥石
祖父の砥石

当時は砥石の種類も知らなかった私ですが、後になってそれが天然砥石と呼ばれるものだと知りました。これが私と天然砥石の出会いで、この砥石は今でも大切に使っています。

そして葬儀の後、祖父の工房や道具はすべて処分されました。

せめて治具の一つでも残っていれば・・と悔やまれますが、治具を知らなかった当時の私にはどうしようもなかったのです。

決意

そして祖父が亡くなってから約10年後、子どもが3人生まれ、三段ベッドを作ることに成功した私は決意しました。

祖父の技術を受け継ごう。

失われてしまったものを見つけて、私が後に残そう。

それが、このブログが生まれた瞬間です。

結局、祖父のもとであの時私が作ったものを、私はいまだに自分で作ることができません

なぜ電動ドリルであれほどの精度が出せたのか、いまだにわからないのです。

私が今も『直角』と『治具』に強くこだわっているのは、これが理由です。

直角切り治具
ノコギリで木材を直角に切る方法 ~高精度なノコギリガイドの作り方

続きを見る

このブログが目指すもの

このブログでは、経験ゼロだった私が様々なDIYに挑戦し、物を作りながら技術を身に付けてい過程を記事にしていきます。

道具も技術も失われる一方の時代なので、少しでも『技術』を伝えることができればと思っています。

このブログを読んでくださった方が『これなら自分にもできるかも!』と思い、実際に試していただけたならこれ以上嬉しいことはありません。

そしていつになるかはわかりませんが・・祖父に

『おじいちゃんの技術は受け継いだよ』

と報告できればと思っています。

それまで長い道のりになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

2020年5月28日